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 雑記は基本的に独りよがりな思想の垂れ流しですが、今回は雑記も雑記、雑記・オブ・ザ・イヤーです。2015年始まったばかりだけど。

 空いている時間は好きなものに触れていたい性格な故に、ワタルのBlu-rayやCDドラマをひたすら再生することがしばしばなのですが、好きなものを見て只にやにやしたいだけなのに、約20年ぶりに再燃した2014年、ふと或ることに気付いてしまった。

 ワタルって基本悲しい。

 え?ワタルはおもしろかっこいいだよね?悲しいとは何事だ?そもそも再燃した時だって「ああ、ワタル懐かしいなあ、楽しかったよなあ」って思って出戻ってきたんじゃなかったのか。そりゃ話中では友達になった虎王と敵対したり先生が闇堕ちしたり悲しくなる要因は色々あったけど、最終的にはボスを倒して平和を取り戻したぞ!良かった良かった!…で、受け止めてたよね、当時は。勿論、子ども向けアニメとしてはそれで正しいと今でも思ってる。
 じゃあ何が悲しいのかというと、いわゆる大人になった今、どのワタルシリーズを見たり聴いたりしても、最後に待っているのは「別れ」だということ。いやいや、「別れ=悲しい」はあまりに短絡的ではないか。別れといってもあれらは前向きな別れだったじゃないか。離れていても互いを思い、きっとまた逢えると信じて生きていく。そう捉えることが人として一つ上のステージの考えのような気がしていた。
 しかし、良くも悪くも大人になってしまった私は思うのです。「前向きな別れってなんだ」と。前向きだろうと後ろ向きだろうと別れは別れだ。そこには一緒に居られないという事実があるだけなのだ。一緒にいることだけがハッピーエンドなわけではないことは百も承知だけど、一緒にいられるならそれにこしたことはないと、一周回ってシンプルにそんな結論に至ってしまった。単純って言うな。TVシリーズでは創界山との別れ、終わりなきでは救世主との別れ、CDや小説では虎王との別れ…どれを見ても悲しいんですけどー!悲しくてにやにやできないんですけどー!これほど見事な八つ当たりもないって分かってるけど悲しいんだぜー!
 小説「虎ブルドリーム」でワタル(中学生)が「虎王がいない辛さを自分の一部として生きていく」という超前向きな発言をしているけど、「虎王伝(2巻)」にワタル(多分高校生)があてもなく待つ日々に疲れてる描写があったりして、現実を知れば知るほど募る寂しさや悲しさの存在に薄々気づいてゆく、ああ、ワタルの大人になり方がリアル…と変な感心をしたりして(出版の時系列的には虎伝の方が先だから偶然だと思うけどそこは目を瞑るw)。
 
 ワタルシリーズの公式作品が世に出た順ではなく、あくまでキャラクターの年齢的な話をすると、虎王伝が一番最後に位置づけられ、その5巻(最終巻)は虎王が創界山やワタルの元に帰ろうと考えて完なので、その後の展開は明るい妄想で補い易いことが幸いです。最後の最後にやっと報われるよ…良かったよ…と思いつつ、生きる世界も時間も異なるやるせなさやもどかしさにうわああああと頭を抱えて苦悩することも実は結構嫌いじゃないっていう面倒くささを披露したところで新年早々本当にどうでもいい雑記を〆たいと思います。

 結論:妄想尊い。



2015.01.12 更新
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2015.01.12 Mon l 雑記 l top
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