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「ワタル3」は、私がリアルタイムで追いかけていた最後のワタルです。
ラジオを聴いている当時、漠然と「これ「ワタル」だよね?なんだろう、何か雰囲気変わった?」と思っていて、「1」や「2」と違う監督さんだったことは後で知りました。

「3」のワタルの役目は「奇跡を起こすこと」でした。それは、浮遊界を救うことではなくて、その浮遊界を救える人物を目覚めさせること。浮遊界は魔界の海の上にあるので魔力の干渉が強く、その魔力に耐えられながらも良き心を持つ者…まあ虎王なんですけどね。やっぱりね。ワタルは奇跡を起こしたけど、そこで物語は終わるので結局話中では浮遊界を救うまでいってないんですよね。間接的に、奇跡起こした→虎王が浄化に向かう(で、多分救えた!おけ!)ってことなんだろうけど、やっぱりワタルの「救世主」の姿が見たかったなあというのが一番のしょんぼりするところです。

虎王は、最後の最後までほぼ記憶喪失&洗脳。2回も魔界の海に落とされてるので、ワタルのことはがっつり忘れてます。健気なヒミコに対しても酷い振る舞いをするので、苛々が募っていた私は「一発殴ってやれよワタル…」と思っていたら、ラスト近くで本当に殴り合いになってちょっとびっくりした。自分で殴れと言っておいてなんですが、ワタルと虎王って殴り合いが似合わないな。この子たちの友情はべったりか剣を交えるかの両極端の方がしっくりきます、個人的には。

虎王は思い出せ思い出せばかり言われて、「今」の自分を否定されているのが悲しかった、と。(それって普段、翔龍子がワタルから虎王虎王言われるのと通じるものがあるよね…と思ったり) ワタルは反省して「じゃあ新しく本当の友達になろう」って。どんな虎王であっても「虎王」である限り、ワタルは信じ続けるんだろうな。奇跡を起こすほど強い気持ちで。

敵キャラのノーザンタイガーは、虎王と瓜二つ設定で魔界の皇子だったわりにあっさり消されちゃったのが勿体なかったけど「俺様の胸に抱かれて安らかに眠るがいい」という名言で爪痕を残していった功績は称えます。へんなひと万歳。


「超」は、再燃してから初めて観ました。
97年当時は既に2次元に疎くなってしまっていたし、地元ではテレ東系が未開局だったので、今の今まで触れる機会が無かったのです。「1」および「2」が三つ子の魂状態で育ってきたので、「超」のあれこれに「お、おう…」と戸惑うことが多く、今もってうまく咀嚼できていないのですが、とりあえず戦部と炎部が好きです。結局ワタルなのかわたし。うん、ごめん。後は最終回の「龍神丸が僕の良き心なんだ」は好きな台詞です。
虎王はちょっとやんちゃすぎるかな。誇り高き魔界皇子の虎王さまが好きなのです。悪夢の中で手を繋ぐシーンは瞬時に萌えたことをこっそり告白しておきます。




2014.7.18 更新
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2014.07.18 Fri l 雑記 l top
時系列で考えるとワタル1→ワタル2→虎伝(※2→虎伝は必ずしも繋がっているとは言えないかもだけど、とりあえず今は繋がっていると仮定)なんですが、世に出た順は1→虎伝→2なので、私が2を見る頃は虎伝の影響でワタルと虎王の友情はガチ前提で見ていたような気がしたので、あらためてワタルと虎王は何がどうなって相手のためなら命も惜しくないトモダチになったのか考えてみたくなりました。あくまで私個人の妄想ですので、その辺はご了承ください。

「1」でワタルと虎王が初めて出会って、ヒミコのこともあり何かと競い合うように。この時のワタルの虎王に対する印象は「相当の変わり者」だったけど、顔を合わせる機会が増えるとそこは10歳の子どもらしく、というかワタルらしく早めに友達認定していたと思われます。ただし、あくまで他の友達と同レベルの。
一方、虎王は箱入りお坊ちゃんだったので(ドアクダー的には元が翔龍子だから余計な情報を与えたら悪影響と思って外の世界と遮断していたのか)初めて会った同年代のワタルやヒミコのところに行くというだけで楽しそうで、決定的なのはやっぱり地下洞窟でのやりとり。自分のことを無償で想ってくれる「トモダチ」の存在を初めて知る。それを嬉しいと感じる。

しかし、お互いは敵同士だと判明。最初こそショックを受けるけど、どちらも自分の信じるものの為に戦うことを優先するんですよね。ワタルは「戦うなら1対1で」と言うし、虎王も然り。それがドアクダーの子殺し(未遂)をきっかけに戦う理由が消え失せて全てが引っくり返る。虎王にとってドアクダーは「絶対」だったはず。それに殺されそうになるという究極の状態で守ってくれたのがワタル。これが吊り橋効果に近いものがあったのでは。身を挺して守ってくれた「トモダチ」という認識が鮮明に焼付いてしまった。絶命する寸前の言葉が「俺様とお前はトモダチ」だし。
ワタルとしても目の前で邪虎丸が噛み砕かれたのを見て最後の力が覚醒したぐらいだから、非現実な出来事の連続の中で虎王に対する感情が濃くなっていったように思えます。挙句の果てに死別だもの、その瞬間に他の友達とは違う何かがワタルの心に深く刻み込まれたのかなあと。現実の世界でこれだけ苦難を共にした友達はいない、と虎伝でワタルも言ってるし。まあそれはそうだろうね…。

翔龍子に戻り虎王が「消えた」ことが、本当は納得いってなかったワタル。(これも虎伝での告白)それにより良くも悪くも執着も高まろうというもの。

そしてワタル2の冒頭。翔龍子に重なって虎王が現れるのは、今度は敵同士じゃなくて味方で、「トモダチ」として助け合いたいという虎王の強い意識のあらわれなのかと。虎王は「戦う人」だからすぐにでも行きたかっただろうけど、翔龍子は立場的に最前線で戦う人ではないからなあ。後で助けに行くことになるけど魔神もないし、雷龍剣だけ渡してどうするつもりだったんだろうと思ったけど、ワタルと会えば虎王になると予見してのことだったのかしら。聖龍妃さま恐るべし。

黒龍角の攻撃を受けた翔龍子に向かってワタルが叫んだ名前は「虎王」。以前、虎王が消えたことに納得していなかったワタルだとしたら、そう呼んだのも頷ける。翔龍子サイドで考えると可哀想なんだけど…これまで掘り下げると大変なことになるので今回はちょっと置いといて。

「虎王って呼んでいいのかな」というワタルの言葉に、翔龍子に対して呼んではいけない名前だと意識的に制止していたことが垣間見える。それでもちょいちょい呼んじゃってるけどね。制止していたものが解禁されたら堰を切った水のように加速するのが当たり前で、「トモダチだもんなっ」の肩組みに始まり→ワタルが虎王に「謝る」ことを教え→天輪峡で絆が深まり(「俺様の心はワタルのもの(意訳)」って言われたらワタルも堪らんよね)→痴話喧嘩をし(ぼく虎第二章回想)(さっそく謝るを実践する虎王…と思うと可愛い)→先生に命を狙われ(魔界シバラクの罠の回)→カラゾンの森で「俺様の命に代えてもワタルは守る」に辿りつく…。こうしてみると天輪峡での宣言はちょっとその心境早くないかと思うけど、そこは後付なので大目にみてください。魔界シバラクの罠のエピソードの位置は単に私の好みです。ぼく虎第二章が先生に似た人を追いかけた云々なので、あんな目に遭った後では追いかけられんだろうなということで。

こうしてみると創界山で芽生えた友情が、星界山で育まれて、「ぼく虎第三章」(ワタルの「会えて嬉しいよ」が相当実感篭ってる)を経て熟成されて、虎王伝説のガチな友情になる…のでは…とか考えてみました。ここで「終わりなき」を突っ込もうとするといよいよ破綻するので諦めた。

長々書いたわりに適当もいいとこ過ぎる妄想ですが、ワタルと虎王の友情は紆余曲折を経て確立したものだから若干濃いめでも致し方ないと自分に言い訳するためには整理してよかったです。自己満足。



2014.7.16 更新
2014.07.16 Wed l 雑記 l top
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